<経歴> 以前は、主にキャスティング業務を中心に、テレビ番組、広告、イベント等の企画制作やPR業務に携わる。1995年、キャスティングプランナ―として独立。在版テレビ局制作のテレビ番組へのタレントキャスティングをはじめ、大阪市、流通系クライアント、メーカーなどの業務実績を有し、キャスティング業務に関する幅広い経験とそれに伴う広告、PR業務の経験を有す。2008年には、NLPマスタープラクティショナーを取得し、幼児教育やフィットネス事業も展開をする。2021年にKANAHAを設立。
―どんな商品を扱っているんですか?
現在は、キチンナノファイバーが入ったナイトジェルマスク美容液やモイスチャークリーム、ローションセラムを主に販売しています。このジェルマスク美容液は今年(2022年)の9月に発売されたんですよ。カニの殻から抽出したキチンが配合されていて、肌なじみが良く保湿性もある美容液なんです。全国的にリリースし、雑誌に掲載されたりもしています。
―こだわりポイントは?
やっぱり良い成分を使っているというところ。ブランド品も良いものを使っていたとしてもすごく少量ですよね。それが嫌だったんです。原価が高くなろうと、良いものをしっかり使った製品を世に出したかったんです。だから、製造原価が結構高くはなるんですけど、でも、妥協せず良いものを作りたいと思ってたので、3年かけて改良に改良を重ねて、今の製品が出来ているんです。その点では、自信をもっておすすめできます。
―化粧品を作ろうと思ったきっかけは?
親戚の漁師の方から、とっても深い切傷を負ったときに、イカの甲を傷口につけて絆創膏を貼るように言われたんです。そうすると、翌朝にはきれいに治っていたことがあったんですね。詳しく調べてみると、イカの甲には止血・殺菌効果があり、他にも研磨剤や医療用の縫合糸や人工皮膚としても使われていたんです。この作用を何かに使えないかなって考えていた時、化粧品に入れたらどうかって思いついたんです。実は、妊娠中にパンダジミが出来て、そのシミを取るために手作りの石鹸を作っていました。化粧品を製造してくれる会社の社長とも相談して、そこに混ぜたらどうかという話になって最初は石鹸を作ることになったんです。その後、鳥取大学発のベンチャー企業様からお声がけいただいて、現在の商品ができました。
―環境に良いとはどんなことだと思いますか?
やっぱり美容と環境問題ってかけ離れているように感じますけど、上手く利用すれば繋がるんですよね。あらゆる業界でSDGsの達成を掲げるようになったこともあり、美容業界でもSDGsが意識されているんですよ。私は、特に捨てられてしまう海の天然資源に新たな命を吹き込み、循環させていくことに意義を感じてます。海の成分は凄く良いものが多いと思ってるんですよね。だからこそ、海に眠っていたり隠れているモノを発掘したいですね。宝さがしみたいな感じで。
―もともと海が好きだったんですか?
主人と出会ってからサーフィンやボディーボードを始めたんです。子どもを授かるまでは、毎年たくさん海に入ってましたね。子どもが生まれた後も、家族でよく海に行ってます。入るだけじゃなくて、ただ見に行くこともありますね。海を見ると元気をもらえるので、リフレッシュしに行ったり、あとは行き詰った時には相談したりしてます。海から元気をもらってるからこそ、恩返ししたいという気持ちがありますね。
―もともと化粧品関係の仕事をされていた?
いえいえ、全く違いますね。芸能界の裏方の仕事をしてましたね。親の仕事の関係もあって、小学生の頃からプロデューサーになりたいと思ってました。小学校6年生の時の作文で将来の夢はプロデューサーと書いたことは今でも覚えています。芸能関係の仕事に就きたかったけど、親の反対もあって最初は会社に就職しました。でも、1年で辞めたんですよ。どうしても芸能関係に進みたかったから、1年で辞めると決めていました。辞めると言っても、納得して辞めたいのでノルマを達成してから、と思ってましたね。1年で納得いく結果をだせたので会社を辞めて、AD(アシスタントディレクター)を半年しました。でも、合わないなーって感じて、何だろうって色々考えてるときにキャスティングだ!ってなったんです。
―辞めた後はどんな道を進んだんですか?
まず、キャスティング会社に飛び込んで仕事のノウハウを教わったり、あとは人脈作りをしてました。5年間会社で経験を積んでから、独立しました。「東京で芸能事務所を構える」ことを将来のイメージとして持っていたんですね。その目標を達成するために、大阪で大手の会社からのれん分けをお願いされるくらい成功することを目標にしていたんです。ひたすら仕事をしていたら、東京のいくつかの芸能事務所からオファーを頂いたんです。その話をもらった矢先に、父が倒れて看病せざるを得なかったんです。それで、泣く泣く東京に行くことは断念しましたね。病院に寝泊まりしながら、公衆電話でタレント事務所に出演依頼の電話をかけたり、と大変でしたね。
―お父様と同じ業界にいることについてどう思っていましたか?
父はクライアントにあたる人だったんですが、全く娘ということを言わなかったんです。父のほうが立場が上ということもあったんですけど、会社で会っても挨拶するくらいでしたね。家では、仲のいい親子だったのでたくさん話していたんですけど、一歩外に出ると全くの別人になっていましたね。それでも、独立してから3年後のある日、会社の人に「実は、あいつ俺の娘なんだよ」って言っていると聞いて、「私も取引先として認めてもらえたんだ」と少し嬉しかったですね。
―ずっと社長になりたいと思っていたんですか?
雇われ社長というのに違和感を感じていたんですよ。だからこそ、自分はオーナーになりたいとずっと思ってましたね。自分で自分の力を試したかったという気持ちが大きかったかもしれないですね。
―1日のスケジュールはどんな感じですか?
朝10:00からだいたい12:30くらいまでジムに行ってます。ストレッチして、筋トレして、最後に走って、というルーティンですね。とにかく時間が無いので、やるときは携帯を見ずにひたすら集中してやってます。最近は、電話があったらとるようにはしていますけど、目を瞑ってやることも多いですね。帰ってきてから、午後は仕事。夕方から家事をするという感じで1日を過ごしていますね。
―仕事をする上でのモットーみたいなものはありますか?
逆算して考えることかな~。あとは、人と会ったら、その人の良いところを何か一つ盗むことを意識しています。いろんな年代の人と関わるってことは、考え方も価値観も異なって「そういう考え方もあるんだ」って刺激を受けることが多いですね。いろんな考え方や価値観を、自分の中で吸収して消化させて取り入れていくことが大事だと思いますね。
―学生に一言お願いします。
“こういう姿でありたい“”こういう女性でありたい“”こういう女性になりたい“という理想像があるといいと思います。たとえ人が良く思わない仕事だったとしても、自分が納得していればOK!人が決めたことをやろうとすると居心地が悪くなるでしょ。自分のしたいことを考えて、逆算して行動していく。そうすると、自然と目の前のチャンスが見えるようになってくると思います。