国際ファッション専門職大学 畑中 艶子先生

中国ハルビン市で生まれ育つ。国立ハルビン工業大学電気工学部を卒業後、マイクロモーターの研究開発、M&A等に従事。結婚を機に来日し子育てと並行して、国際貿易や商品の企画・製造・販売・会社経営を行う。2012年には経営学修士(MBA)(京都大学)、2017年には経営学博士(立命館大学)を取得。のちに教育機関において、ポストドクターの長期インターンシップの指導・教育等に務め、国際ファッション専門職大学へ赴任。戦略等の論述・学会発表など多数実績を持つ。

 

 

中国でモーター開発に関わり、日本では貿易会社の社長をし、現在准教授をなさっているというのはかなり異色の経歴ですが、詳しく教えていただけますか。

 

私は元々中国のハルビンで生まれました。以前満州国だった地域ですから、日本やロシアの影響が色濃く残る欧風の街でした。例えば、中学校では英語の他に日本語・ロシア語を選択することができ、多言語話者が多かったです。思えば、ハルビンの国際性は私の生き方に大きく影響を与えていたと思います。

 

高校卒業後はハルビン工業大学電気工学部に進みました。当時の中国において大学は狭き門で、進学率は3-5%だったと思います。理系の女子大生はもっと少なかったのです。私はそこでマイクロモーターについて学び、卒業後中国シンセンの大手企業に就職しました。

 

しかし、結婚して来日した後は、その分野にこだわらずビジネスを始めました。そのため私のビジネスは、カレーに入っている原材料(牛肉やソテーオニオン)・ワンちゃんのおもちゃ・電機・インテリアなど実に多岐にわたっていました。一見共通点がないように見えますが、すべてお客様のリクエストから始まったものです。「こういうものを作ってくれないか?」から始まって、そこからお客様と一緒に企画開発し、生産管理や市場開拓まで携わることが私のやり方でした。このように20年ほど日本でビジネスに携わってきました。

 

そんな私がなぜ教育の世界に飛び込んだのか。それは大学院在学中に留学生たちの支援をしていたことがきっかけです。私はビジネスを行う中で、もっと経営の知識をつけたい、学びたいという思いが生まれ、京都大学大学院に進学しました。その際、いろいろな国・地域から来た留学生の進学・履修・生活相談などを担当しました。留学生たちは言葉の壁や居住環境の問題によって、勉強と経済の両面で苦労を強いられていました。学生達を支えるためには、私のように日本語も英語も中国語も話せてかつ実務経験のある人材が必要だ。そう感じました。

 

 

新たな目標を得た私は、大学院卒業後に奈良女子大学で教育現場に飛び込みました。文部科学省の補助金で運営された3年間の任期の中で、日本全国より応募してきたポストドクターの長期インターンシップの指導に携わりました。ポストドクターとは、博士の学位を取得した、あるいは満期退学した博士課程の学生のことです。彼女たちはまだ正規の職業に就いていなかったため、企業インターンや海外研修に行けるように直接指導をしました。現在、彼女たちは大学の教員になったり、インターン先で就職したり、あるいは自ら起業したりして、各々の場所で輝いています。

 

奈良女子大学の任期満了後、私は国際ファッション専門職大学へ赴任しました。准教授として「マーケティング論」や「国際ビジネスモデル特講」、「消費者行動論」、「キャリアデザイン論」などの経営学を教えたり、学生の「海外実習」の指導を行ったりしています。

 

 

波瀾万丈な人生ですね。これらはキャリア設計にもとづくものですか。

 

その時々の目標はありましたが、人生を通じた計画があった訳ではありません。勉強で世界を知り、努力することで世界や自分は変わります。先のことなんて想像できないでしょう。走りながら考える。考えながら走る。自己研鑽を止めてはいけません。

 

ただし、誰かを喜ばせたいという気持ちは一貫してありました。大切にしてきたのは、信頼関係と人のため役に立ちたいという情熱です。「信念を持って信頼を得る。懸命に努力して社会に貢献する。」このように自分の軸を持つ訳です。だから私はいつも、自分の「したい」ことより社会に「必要」だと感じたことをチョイスしてきたのかもしれません。微力ながら世の中の役に立てたことが私の最大の幸せです。

 

モノを作るというのも、誰かから必要とされることが必要です。人に喜んでもらえてこそ価値があり、自分自身もHAPPY な気持ちになります。そこにHAPPY の連鎖が生まれ、自分もお客様もHAPPYになりますね。

 

普段はどんなお仕事をされているのですか

 

私の主な仕事は経営に関する講義を行ったり、論文を執筆したり、学会で発表をすることです。また、学生の語学練習や実習・進路相談などにも力を入れています。

 

このドレスを見てください。何でできているかわかりますか。

この写真はグループ校大阪モード学園の卒業制作展「未来創造展」の学生の作品」

実はスポンジです。これは本学の日本教育財団中の専門学校大阪モード学園の学生が「未来創造展」で制作した作品です。本来掃除などに使用されるスポンジは衣服の造形にもなりうる、という可能性を表現しています。他にも、奇抜な花柄の名刺のデザインに挑戦する学生(本学大阪キャンパス3年生女子)やブランドを立ち上げる学生(本学大阪キャンパス3年生男子)もいます。ご興味がありましたら、本学のホームページをご覧になってください。(国際ファッション専門職大学https://www.piif.ac.jp/ )。彼らはクリエイティブな発想や持ち味を生かす方法に留まらず、どのような売り出し方をするのかに至るまでを研究しています。そういったことのサポートをするのが私の仕事です。

 

また、国際ファッション専門職大学でもインターンシップの指導をしています。私は、将来の起業家・社長を生み出すための新しいインターンの形を作り出し、学生たちの想像力・潜在能力を引き出して企画力・行動力を養うことを重視しています。

 

教育に対して私の根本的な考えは三つあります。一つ目は「参加型」です。まずは学生たちに興味を持ってもらい、楽しむことから始まります。そして二つ目の「体験型」に繋がります。楽しんで学んだ先には、実際に自分で体験してもらいます。三つ目は体験を経てチャレンジをすること、いわゆる「実践型」です。これらによって社会に出たときに学生達に即戦力になってほしい、輝いてほしいという思いがあります。

 

 

様々なご経験をされたと思いますが、辛いことはどのように乗り越えてきましたか。

 

女性としてキャリアをずっとやると光もありますが影もあります。働くことによって、社会的な名誉・経済的な価値・成功への喜びが出てくる一方で、失敗して幸福を失うリスクは存在するし、何か独創的なことを考えると理解されずに孤独を感じることもあります。そういったときは自分を客観視することが大切です。

 

それでも困ったときはどうすればよいのか。私の解決法は寝ることです。明日になれば太陽は必ず昇ってきますからね。これは、しっかり休養をとればリフレッシュできるという考えでもあります。

 

私は楽観的な性格ですが、問題などに直面した時は思考の転換が必要だと思っています。つまり、悪いことがあっても次はチャンスが来ると思って、良い方向へ向かう解決策を積極的に探るということです。不安定なときは、立場を考え、角度を変えて考えてみる。そうすると視野が広がり、新たな活路が見えてきます。

 

 

女性として活躍する中で、良かった面・苦労された面はありますか。

 

私は女性に生まれて良かったと感じています。一般論として、日本社会における男性は常に強くないといけないという固定概念があります。しかし、女性は弱みをさらけ出すことができます。私は女性として守られたり教えられたりしてきたことを幸せに感じています。女性は男性と体のつくりが違うので実際弱いところもありますが、これは客観的に認めるだけで十分です。あまり悲観的になる必要はありません。皆さんも女性で弱いかな?と思っても、その弱みを弱みだと思わないでほしいです。

 

 

畑中先生はどんな方と働きたいですか。

 

自分より経験や知識が豊富な人と働きたいです。また、強くて優しい人。

そして、誠実でユーモアのある人に魅力を感じます。

 

私は「関西ベンチャー学会」の常任理事を務めています。その中で研究者のみならず、女性起業家もたくさんいらっしゃいますので、興味があったらぜひ。学生も参加可能です。

 

 

学生にメッセージをお願いします。

 

女性はダイヤモンドのようです。勉強や経験によって磨かれて強くなり、周りの人たちの愛に照らされることで輝きます。「自分を磨いて、そして輝く」、どんな国や社会でも、環境下でも生きられるように常に自分を磨いていくべきです。

 

もちろん、それでもできないことは誰にでもあります。失敗したら泣いたら良い。泣きなさい。泣いた後にちゃんと磨いて笑えるようにしてください。

 

輝く未来は、あなたを待っています。

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