株式会社真面目 平川アズサ様

株式会社真面目 平川アズサ様

【プロフィール】

平川アズサ様岩手県不来方高校外国語学系卒業後、上京しモデルになる。

モデルとして活躍後、撮影現場の裏方であるディレクターに憧れ映像会社に入社。その後独立し、2013年に株式会社真面目を設立、代表取締役に就任。

今年6月に娘を出産。現在は育児と仕事を両立しながら、リモートワークを中心に働いている。

 

【インタビュー】

今回、株式会社真面目代表取締役社長兼クリエイティブディレクターの平川アズサ様へインタビューしました。みら女一同がオシャレなオフィスに圧倒されていると、平川社長が温かい笑顔で出迎えて下さいました。

ー現在のキャリアに至るまでの経緯を教えて下さい。

高校時代にモデル活動をしていました。私は身長が170センチあります。学生の頃は背が高いことがすごくコンプレックスで嫌でした。そこで私はこのコンプレックスをばねに変えようと思い、モデルを始めました。高校は進学校でしたが、大学には進学せず、卒業後もモデル活動を続けました。なぜなら、学びたいことがないのに、親のお金で大学に行くよりも、自分の身体1つでお金を稼げるモデルをしていた方がいいと考えたからです。モデルの仕事は順調で、その流れで上京しました。

ですが、モデル活動をしているうちに「地に足がつかない仕事だな。」と感じ、また、「この業界のTOPにはなれないだろうな。」と思うようになりました。その時、漠然と「どこかの小さな山でも、なにかしらの一番になりたい。」という気持ちが芽生え、モデル+αで脚本を書き始めました。

+αに脚本を選んだ理由は、モデル、女優業のキャリアに一番直結する能力だと思ったからです。また、当時からモノを書くことがすごく好きでした。アメーバブログに日々の出来事を書き残していて、脚本に取り入れたりもしていました。そうして、2年半かけて脚本を書き上げました。書き終えた脚本を見たとき、自分の手でこの脚本の映画を撮りたいと思いました。それが24~25歳の頃でした。そして、半年かけて映画を1本作りました。映画を作り終えた時、「こんなに辛くて、こんなに胸を震わせる職業があるんだな。」と感化され、この仕事を生涯の生業にすることに決めました。

その後、26歳で初めて制作会社に就職しました。編集のへの字もわからないところから独学で必死に学び続けました。ある日、制作会社の社長が、「セブンイレブンのCMの案件きているけどやりたい人いる?」と言った際に、他の社員が下を向いている中、私だけが社長の顔を見ていると、社長から指名されました。社長の顔を見ていたのは、やりたいという意思表示ではなく、話している人を見ることは最低限の礼儀だと思っていたからでしたが、案件を引き受けることになりました。

私よりも年次が何年も上のディレクターや、やりたい人がいたのに、私がいきなり抜擢されたので、社内で誰も協力してくれる人はいませんでした。ですが、外部のカメラマンさんや照明さんと一緒に制作し、結果的にそれが大きなジャンプアップになり、自分の実力に繋がりました。そして、自分のやりたい事はこれだと定まりました。この経験から、フリーランスで映像ディレクターをやりたいと思い、在籍期間は1年だったのですが、フリーになりました。

30歳までフリーの映像ディレクターをし、30歳になったときに、ただ好きな事を仕事にするのではなく、好きプラス何か社会貢献ができないかと考え始めました。ですが、明確に何が社会貢献なのかわからなかったので、社会貢献ができる箱を作ろうと思い、株式会社真面目を設立しました。そこからあっというまに9年がたち、業績は順調に右肩上がりで、オフィスも4件目の拡大移転をし、今に至っています。

なので、現在に至るまでのキャリアプランはなく、やりたいことを貫いていました。仕事において、一番大事にしているのは、責任と覚悟です。人生においては、心から楽しめている選択をしているかどうかを一番大事にしています。今私にとって心地いいことか、自分がかっこいいと思える選択をしているかどうかを重要視しています。

 

ー生活のスタイルを教えていただきたいです。

 

6月に娘を産んで、そこの前と後で全く変わりました。その前の話だと、365日24時間を仕事に使いたかったです。寝ている間もずっと仕事のことを考えていました。撮影だと朝5時とか4時起きで6時集合や、ミュージックビデオの現場だと朝4時5時まで24時間撮影していることがざらにありました。朝帰ってきて2,3時間寝て、午前中から新卒の面談をして、午後クライアントの商談をして、社内ミーティングをして、家に帰って倒れて寝るみたいな生活をしていました。

1日を区切って見ると凄いなと思うかもしれませんが、一日単位で物事を考えていなくて、一週間単位で物事を考えていました。トータルバランスを見ていて、自分の中のサイクルがあるので、1週間でリセットするようにしていました。

コロナ禍の状況で強制的にリモートワークになったことにより、今では半分以上自宅でリモートワークをしています。まだ子供が小さく、8時間会社にいることは難しいのですが、どうしても対面じゃないと生まれない空気があるので、そこは大事にするために週に何回かは出社しています。

 

ーこんな人と働きたいというのがあれば教えていただきたいです。

 まっすぐな情熱がある人。

まっすぐっていうのは、嘘が下手だとか、嘘が付けない人、実直な人というのが私の定義です。私の会社で働いている社員は、みんなそうです。そういう人じゃないと長く続かない。そういう人しか残らない。そういうメンバーだと居心地がいい同士になれます。頑張っていることがスタンダードな空気なので、頑張れない人にとっては居心地が悪い環境なのだろうなと思います。

採用の際に大事にしていることは、自分の言葉で話していること、話している内容に原体験があることの2点です。「人にした今までで一番のサプライズは?」という質問をよくしているのですが、友人にサプライズケーキを渡しましたという浅いものではなく、考え抜いた誰かを本当に喜ばせたいというものの原体験がちゃんとあるかどうかを大事にしています。

特に親族を喜ばせた経験があるかを私の会社ではとても大事にしています。例えば私だと、学生の頃、両親が共働きで、仕事から帰ってきた時にちょうど温かいものが全て揃うような計算をしてご飯を作っていました。これは、サプライズではなく、親をおもってしていたことだと思います。

根っから誰かを喜ばせたいというものが私の中にありました。これをスタンダードに考えられるかどうかが、クライアントワークにおいても想像力が働くと思っています。おもてなしの心を持ち、相手にもっと何かしたいという思いが、クリエイティブに直結すると考えています。

また、このような経験が自分の言葉で話せることが、実直な人だなと思います。言葉に真実味があるか、伝える力があるかを重要視しています。

 

ー20代のうちにしてほしいことはありますか。

今持っている21歳、22歳の感覚をアウトプットして、言語化して、それを資産として残しておくことです。今でいえば、noteとか。

今感じている感覚は10年後には言語化できないと思います。それが過去の資産になって、自分がこういうことを考えていたのだとか、こういう風な自分だったのかと振り返られると思います。

また、それをオンラインに載せることだと思います。

自分だけのもにするのではなく、ちょっと勇気がいりますが発信することできっと誰かがみていると思います。私も25歳の時に書き上げられた脚本を今書けるかと言われたら絶対書けないと思います。その時にしかできないことがあるから、その熱量を取りためて、それをオンラインに載せることで、それを必ず見ている人がいます。

自分のSNSによって、誰かが行動するきっかけになれば、1つの人生を変えたということです。SNSであれ、映像であれ、写真であれ、料理であれ、誰かの人生を変えた自分の行動を資産として残しておければいいのではないかと思います。

 

 

関連記事

PAGE TOP